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棚谷さんご一家

子どもと暮らす2度目の地元は、安心感と再発見がいっぱい。

 棚谷健一さん/1980年生まれ、秋田市出身。秋田市内の大学を卒業後、市内のIT企業にSEとして入社。東京への転勤、都内のIT企業への転職を経て、2020年に秋田市へ移住。株式会社ローカルパワーのDX推進室室長として勤務。

 棚谷倫子さん/1981年生まれ、秋田県大館市出身。学生・社会人時代は秋田市で過ごす。結婚を機に2011年秋に上京、2016年に出産。 

 

人とのつながりがある “大好きな地元”

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 大学も就職先も秋田市を選んだ棚谷健一さんにとって、家族や友人など、人間関係の土台がある「地元」は、今も昔も大好きな場所です。しかし、29歳のとき、東京転勤の辞令をきっかけに上京し、都会での生活を送ることになりました。その後、学生時代の同級生である大館市出身の倫子さんと結婚。2016年には娘の結美ちゃんが生まれました。「その頃は仕事も家族との生活も、東京がベースになっていました。それでも、いつか秋田市に帰りたいという気持ちは、ずっと持ち続けていました」と健一さん。

そんな時、健一さんの母親が病に倒れてしまいました。大好きな地元と大切な父母への想い、さらに転職を希望するタイミングが重なり「いつか帰りたいという夢」は「身近な目標」に変わったと言います。

「前々から夫がいつか秋田に戻りたいと思っていることは知っていました。想像より早いタイミングだったので驚きましたが、夫の父母も心配ですし、私自身も実家が近くなる安心感があり賛成しました」と倫子さん。

移住にあたっては、秋田市移住相談八重洲センターへ相談をしました。センターでは移住関係の補助金の中から棚谷さん一家が利用できるものを探し、すぐに秋田市の担当者につないでもらいました。秋田市の子育て世帯移住促進事業で、引越し代を補助してもらえたことは、大きな助けとなったそうです。このほか、書類の書き方を丁寧にチェックしてくれたり、移住にまつわる細やかなサポートをしてもらいました。

一方、健一さんの秋田市での転職活動は、コロナ禍で思うように動けず難航しました。しかし、ここで大きなご縁が生まれます。地元の親友から、株式会社ローカルパワーを紹介されたのです。決め手となったのは、会社がITエンジニアを探していた時期と、SEである自分の経歴がうまくマッチングしたこと。そして、信頼する親友からの紹介が何より嬉しかったそうです。「自分の土台」である地元でのつながりが、移住を後押ししてくれた瞬間でした。ここでも秋田市の担当者が手厚くサポートをしてくれ、雇用契約書のチェックの仕方などを教えてもらいました。

移住後は、受発注のシステム構築と、そのシステム自体を外に販売するDX業務を担当。転職した当初は、社長直轄の案件を担う「社長室」の配属にも抜擢され広報を兼務しました。今までやったことがない新しい分野、そしてこれまでの経験を活かせるDXの分野で、楽しく仕事に打ち込んでいます。

 

 

再発見!すべてがそろっている街

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 移住する時に一番心配だったのは、子どもが転園することで寂しがるのではないかということ。しかし、娘の結美ちゃんはすぐに転園先に馴染んでくれ、ほっとしたそうです。そして秋田市で子どものいる生活を送る中で、この街の新たな魅力にも気づくことができました。

「秋田市は、コンパクトにいろんなものがそろっていることが分かりました。普段の暮らしは不便なく過ごせていますし、ちょっと車で行けば大きな公園、温泉、海、キャンプ場があって、子どもを思い切り遊ばせられるのもいいですね。無料の屋内遊戯施設もいっぱいあって、天気の悪い日も遊べるので助かっています」と健一さん。

「雪で遊べる、冬も楽しめるのは秋田ならではだと思います。子どもにとっては雪は空から降ってくるプレゼントですよね。実は私はスキー部出身。せっかく秋田に戻ってきたので、久しぶりにスキーをやりたいと思っています」と倫子さん。

健一さんはキャンプやバーベキュー、倫子さんはウィンタースポーツと、これからも子どもと一緒に「自然を楽しむ暮らし」を送っていきたいと考えています。

「秋田市って思ったより都会なんですよね。確かに東京にはたくさんのお店があるかもしれませんが、秋田市にだって数は少ないですけどすべて揃っていますから。そしてお店の数が少ない分、秋田には自然があふれています」と健一さんは秋田の魅力を語っていました。